小1で不登校になった経緯

不登校 不登校
学校に行かない選択

小学校に行かなくなって早数か月経ちましたので、一度、不登校になった経緯をこちらでまとめたいと思います。

学校に行かなくなってしまうきっかけや原因は本当にたくさんあると思いますが、どなたかの参考になれば幸いです。

初めての行き渋り

入学式を終えて希望に満ちた小学生生活の始まり…。

どんな子でも、幼稚園から小学校に上がってからの生活は今までとは180度違い、違和感を覚えたり、「こんな感じなのか」とちょっと落胆めいたものを感じつつも、お友達が増えていき、環境に慣れ、学校生活を進めていく感じが見られました。

我が家の場合、今思えば希望に満ちていたのは親だけで、本人はこれからどんな生活が待っているかもわからず、淡々と朝起きて、学校に行って、授業を受けてといった日常を送っていたように思います。

一学期が始まり1週間して、週の真ん中くらいになると「今日は行きたくないな」と言い出すようになりました。

「まだ、たった1週間ですけど?」(^▽^;)

そんな事を心に思いつつ、本人も「学校は行かなくてはいけないもの」という思いでなんとなく登校はできていました。

行き渋りからの欠席

そんな感じで1ヵ月程度はだましだまし過ごしていましたが、だんだんと1週間続けて毎日学校に行くことが難しくなっていき、週に1日か2日はお休みするようになってきました。

新生活の疲れが出てきたころでもあると思うので、担任の先生にも連絡し、少し休み休みの登校になることを了承していただき、その後も夏休みまではなんとなく過ごしていました。

一学期の最後の方で面談があり、学校での様子を聞くと、1時間の授業中、多動ではないものの、椅子にきちんと座れない(すぐダラーっとなってしまうこと)や、集中力はすぐ切れてしまうこと、苦手なお友達が1人居て、トラブルになったことがあることを聞きました。

うちの子の場合、学校での出来事などをほとんど話さない子なので、まったく知らない事実などもあり、ちょっと驚くと同時に、よくその状態で1学期を通えていたな…。という思いが正直な所でした。

夏休みを終えて二学期

新型コロナの影響もあり、ちょっと短めの夏休みを終えて二学期が始まると、だんだんと学校へ行くことに主体性をもってくれている様に感じ、1ヵ月間はスムーズに登校できていました。

※ちなみに、新学期開始からずっと、朝も帰りも付き添いありで登校していました。

担任の先生からも、学校でもとても頑張って問題なく過ごせていますよと聞き、かなり平和に過ごしていた二学期でしたが、半ばになった頃から「行きたくない」が始まるようになり、一学期と同様に休み休みで通っていたところ、ある朝突然、ランドセルを背負って玄関を出たところで

「どうしても行けない!」

となり、その日から全く学校に行くことができなくなってしまいました。

1年生の二学期中盤からの不登校

その時は何がきっかけでそうなったのかわからず、今までの頑張りの疲れなどのもろもろが押し寄せて疲れちゃったのかな?と思っていたのですが、後から担任の先生に聞くと、ちょうどそのころから学校でのいわゆるお勉強が本格的になってきたみたいで、授業中にできなくて泣いてしまったこともあったようで、きっかけとしてはそんなことがあったのかもしれません。

また、授業時間がだんだん伸びていき、毎日5時間授業に切り替わった頃でもありました。

なんとか頑張って登校してきたけれど、もうこれ以上は無理

そう本人が判断した日を境に、玄関から先に進めなくなってしまったんだと今は思っています。

学校に行くのをやめる選択をした理由

学校に行けない日が続いて2週間くらい経過したときに、担任の先生から「2年生になるともっと授業もつめこみつめこみで大変になるのに、今からこれだと…」と言われました。

そのセリフを聞いて、私はこれ以上この子が「できない事ばかりの学校」に身を置くことにメリットを感じなくなりました。

担任の先生は、発達障害にも理解がとてもあり、配慮もそれなりにしてくれる方ですが、その先生をもってしても適応できない公立小学校のシステム。

時間になればチャイムが鳴り、気持ちの切り替えが苦手な子でもその場で次の行動に入らなくてはいけない。

30人以上の子供たちとの生活騒音、気になる子への気持ちの整理。

そして助けてくれる大人がいない…。

※「いない」と言うのは語弊がありますかね…。でも、幼児期とは違い、大人の目が少ないのは確かだと思います。

合理的配慮という言葉がそこそこ浸透してきたとて、学校のシステムの流れに乗れることができない子にとっては、1日の大半を過ごす小学校での生活はやはり地獄でしかないと思います。

他にも子供の身にいろいろな変化が出てきたので、出来れば行ってほしいという気持ちをすべて捨て去り、学校に行かない選択肢を選びました。

「できれば学校に行ってほしい」という気持ち

この「出来れば行ってほしい」という気持ちを捨て去るのはとても大変だと感じています。

やっぱり、不登校になると親の負担や不安、心配はいっきに増していきますよね…。

「この先、この子はどうなるの?」

仕事をしていれば、仕事に行くこともままならなくなります。

それぞれの環境で悩みは異なるとは思いますが、相当の覚悟が必要だと思います。

私も完全に捨て去るには1ヵ月以上は余裕でかかりました。

その間は、放課後だけ先生に会いに行ったり、1時間だけ授業に参加したりと四苦八苦していましたが、やってみた結果は子供の二次障害の悪化だけでした。

この不安や心配は一生続くものではない

今はそう思って、子供の体と心の休養に重きを置いています。

本当の意味での不登校児童との生活を考えていくのはこれからなので、今後も試行錯誤していこうと思っています。

この記事を書いた人

発達にでこぼこがある子供たち(ADHD・ASD・不安症)と暮らしています。

人とちょっと違う特性があるがために日常生活に困難さがある。
そんな多様性のある子どもたちをありのままに受け入れられる場を知りたい、作りたい。そんな思いを抱きつつ、今は自分の子育てに手いっぱいだけど、いつか困っている子供の役に立ちたい!と思い日々葛藤しています♪

子どもの権利、特別支援教育にも注目中。

✨発達サポーター
✨児童発達支援士/発達障害コミュニケーションサポーター
✨こどもパートナー/こどもサポータ―
✨シブリングサポーター※きょうだい児サポート

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